杉本です。3月17.18日に、所属している兵庫県建築士会の阪神支部の研修で東北を訪ねました。
宮城県建築士会の方々に、石巻市内と女川町を案内して頂きました。
石巻市で津波と火災の被害にあった門脇小学校。
女川町は牡鹿半島の北東部に位置し、古くから近海漁業の基地として港を中心に市街地が形成されていました。
今回の津波で壊滅的な被害を受け、建築物の8割が流出し、人口約9000人のうち、残ったのは約7000人だそうです。
今は大きながれきは殆ど撤去され、市街地だったところは更地になり、道路だけがなんとか復旧されています。
この残った建物は壁は緑色な?と思ったら、壁ではなく屋上の防水層でした。

津波で基礎ごと何メートルも流された後、転倒したものです。
建物の底部、つまり、基礎部分が見えます。
コンクリートの格子状のものは地中梁で、四角い塊は建物の荷重を地盤に伝えるためのフーチングです。そして、地盤に基礎を固定していた杭は、一本だけが引き抜かれフーチングから垂れ下がり、あとは、ちぎれて地中にあるのでしょうか。補強の鉄筋がフーチングに残っています。
このコンクリートの塊も、転倒した建物の底部が見えている状態です。
この建物はべた基礎で、地盤が波に洗われてしまい、浮き上がって流され転倒しました。
転倒した建物の多くは、建設年代が古く十分な耐震設計がなされてなかったのではと言われています。が、新しい建物であっても、この場所で津波の被害に持ちこたえたものは、ありません。水の高さは30メートルに達し、倒壊を免れた建物であっても、修理して再生できるものではないようです。
更地になった市街地のそこここに、うず高く積み上げられたがれきの山がありました。
それを見ていると、一年間でこの状態にまで片づけるのに、どれだけの多くの人びとの懸命な働きがあったのか、思い知らされるようです。地元の人びと、外国の援助隊や、自衛隊や、多くのボランティアの人々の想像を絶するような時間と思いの積み重ねられたがれきの山です。
地元の建築士の方々に復興の難しさもいろいろと伺いました。建築に関わる問題も、すべてが特殊なケースで、地域のことは地域の人にしか解決できないデリケートなこと多いようです。建築士の人たちも、半数が家を失いながらも頑張っておられました。
私の所属する建築士会は東北からは遠く離れた場所にありますが、建築士会どうしの繋がりで間接的に支援していく方法を模索することになりそうです。
一人の人間としてできることは、いろいろありそうです。積極的に東北に観光に行くこともその一つ。
実際に今回は鳴子温泉、世界遺産の平泉、松島にも足を伸ばしましたが、どこも例年以上の賑わいだそうです。
世界遺産、中尊寺は、冷たい雨と凍った地面に拘わらず、たくさんの人出。
今回は仙台バスという会社にお世話になりましたが、この会社も所有されているバスの殆どを流されてしまい、スタッフの方もみな被災者。中古のバスを調達しての営業だそうです。バスガイドさんが、震災のことや現在の復興の状況などを観光情報と同様に詳しく説明してくださいました。
改めて、地震と津波の凄まじさ、その被害の大きさ、復興の難しさ、建築士としての無力さと責任の重さを感じた旅でした。
同時に、この一年で人々が成し得たことのすごさ、たくましさ、
そして、東北の魅力にもたくさん触れました。
また近いうちに今度は観光で訪れたいと思います。
杉本雅子でした。